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2005/05/04 (Wed) cultural relativism

眠れないので記事をもう一個。
今日は高校の友人と六本木のアイリッシュパブに行こうと気張って、結局HUBに行ってきました。
いつものとおり他愛もないおしゃべりで盛り上がった後、話は旅行のネタへ。
私は、カンボジアを旅行した感想として、ストリートチルドレンの多さ、そして、彼らのある種殺伐とした雰囲気が胸を打ったことを話しました。
友達(現在、某国立大学の国際総合学類で文化人類学のゼミに所属)はお返し(?)に、文化相対主義の話をしてくれました。

文化相対主義とは

「あらゆる文化は、みな独自の背景の下に固有の体系として評価するべきであるとする立場。文化の優劣や進化の度合いを論ずる立場や、自文化の優越を主張する自民族中心主義に対していう。」


‐広辞苑 第五版 岩波書店

友人いわく、私がストリートチルドレンを見てかわいそうと思い、彼らの生活を物質的に豊かなものにしてあげたいと願うのは、私の文化(日本?)の基準でその子供たちの生活を図っているからであって、その子達の生活はカンボジアの文化という文脈の中で語られるべきであると。
この考え方を使うと、タリバン政権下のアフガニスタンにおける女性の扱いなどにも同じことが言えるそうです。
友人も、この考え方に100%賛成ではないし、人類学の世界でもどちらかというと古風な考え方だということを言い添えていましたが、やはり一理あると思うのだそう。

これは、「先進国の価値基準で途上国の現状評価を行ってよいのか?」という開発援助の根幹に関わる問題であり、また、「人権という概念を用いて何かを語るとき、それは西欧的概念をそれ以外の文化へ押し付けることになるのか?」という問題にもなりうると思います。

小難しくてわかりにくい表現をしてしまいましたが・・実際物事はどこまで相対化できるのでしょう?
またされるべきなのでしょう?

もっと本などで知識をつけたら答えが出るのかな?
でないような気もするけど、その気にさせた話題でした。

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2005/03/21 (Mon) 戦争?責任?

先日、祖母と話したことについて。

朝食の席で何気なく、前の日に見たテレビの話をしていました。
よくある、1.5流の芸能人の旅行記(?)みたいな番組。
その番組の中で、台湾を訪れた彼らが屋台のおばちゃんと話す場面が。
私は途中から見て、一瞬そこが熱海かどっかの温泉街か、アジアの国なのかわかりませんでした。
なぜって、そのおばちゃんがあまりにもぺらぺらに日本語を話していたから。
そこから、行く先々に日本語を(多少なりとも)話す台湾の人がでてきました。

今回に限らず、アジアで日本語を話す人々が多くいる国があるというのはよく聞く話ですが、そういうのを見聞きするたび、私は一人で勝手に痛々しい気持ちになってしまいます。
日本は、アジアの国々を戦中は軍事力で支配して、戦後は経済という形を変えた力で支配してるんじゃないか・・・なんていうステレオタイプにはまってしまうんですね。

それを、祖母に話したら、「日本がアジアの国々を支配しなかったら、逆にやられてたのよ。経済戦争だったんだから、仕方なかったの。それに日本はもう十分戦争責任を果たしたんだから。今だってたくさんの経済援助をしているし。まして、日本がこんなに経済的に発展してなかったら、周辺国から戦争責任のことで叩かれることもなかったでしょうね。そういうことは、政治のカードとしても使われるから。」

それに祖母はこうも言っていた。「東京大空襲や、原爆や、中国大陸からの引揚者で嫌な思いをした人をたくさん知っているわ。そういうことも知らないで、日本のだめなところばかり羅列するなんて、西洋かぶれもいいとこ。」

この言葉はショックでした。
「西洋かぶれ」。
私は今まで考えたこともなかったけど、私がアジアの被害者の気持ちを考えるのと同じように、戦争を経験した世代には、彼ら自身戦争の被害者であるという意識が根強くて、それはともすると、当時の戦争の相手国への反発心にもつながるものなんじゃないかってこと、実感しました。
先学期取った政治のクラスで、「日本人の第二次世界大戦への戦争観は、ドイツのそれがguiltyなのに対して、shameである。」って誰かが発表していたけれど、そういう戦争観の根底って意外にこんなとこにあったりするのかもしれない。

いずれにしても、同じ国内でもこんなにも戦争観の違いがあって、ましてや、戦いあった国家間において、戦争観や、それに大きく影響を受けるであろう戦争責任の問題について話し合っていくのがいかに大変か、思い知らされました。
それと同時に、話し合っていくことがいかに大事なことか、も。

祖母との話も、単なるgeneration gapだよね、で終わらせたくない。
違うからこそお互いの考えを伝え合う価値があるのだと思います。
そして、国という枠を超えて、個々人がこれらの問題に関する意見を交換し合う場があったら(あるのかもしれませんが)、「戦争?責任?よくわかんないなあ」から、「戦争?責任?わかんないからもっと知りたい!」に変わるのかもって思いました。

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