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2007/05/13 (Sun) これだけ

卒論に1分1秒捧げなきゃいけない身ですが、これだけ書かせてください、神様。

3日前に、うちのお犬様のお散歩から帰ってきた弟君が、「猫が撥ねられる現場見ちゃった。けど放って帰ってきちゃった。」と告白してきました。
それから数時間が経過して夜になった頃、やっぱり今からでも見に行った方がよくない?ということになり、事故現場へ急行。

子猫は死後硬直が進んで、でも二度撥ねられたらしくかなり無残な姿で、道路に横たわっていました。
その後、近く雑木林に埋葬させて頂き、手を合わせて、帰って来ました。

全ての生は平等ではないし、これはその猫の運命だったのかもしれません。
でも、この世の中、ほとんどのことが挽回ややり直しが効くけれど、「絶対にそのときじゃなきゃ取り返しがつかないこと」ってあるんだなあと、ものすごく久しぶりに、悔しくて涙が出そうになりました。

もうひとつ。
今年の誕生日も、思いがけず友達がびっくり企画をしてくれたので、とっても幸せに過ごせました。
ありがとうーー!!、みなさん。
翌日の祖父の三回忌は赤ら顔で出席したのは言うまでもありません、へへへ。

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2007/05/03 (Thu) etre

昨日、久々に友達と長時間話しました。
話すというより、議論?
午後1時くらいに会って、夜の9時くらいまで、お昼ご飯を食べ、さんさんと輝く太陽の中歩き回り、公園で休み、コーヒーを飲み、夜ご飯を食べるまで、ひたすら二人で話しまくりました。
教育システム、移民問題、就職システム、核燃料と核兵器問題、数日後に開票を控えたフランスの選挙戦、音楽の話、宗教の話、ナポレオンとヒットラーの共通性・非共通性、旅の話、スーパーのビニール袋と環境問題、犬と猫と鳥の話などなど。
最後のほうは疲れて頭が朦朧としてたけど、こんなゴールデンウィークの1日も素敵だなと思いました。
議論って相性もあるし、人数もあるし、タイミングもあるし、これだけ上手いこと話がかみ合う相手と話せたのは幸運だし、決して生産的だとは言い切れない「語り」にこれだけの時間を費やせるのは本当に幸せなことだなあと思いました。
最近よく思うのですが、よく晴れた日の午後に公園の芝生の上でいろんなことに思いをはせたり、寝転んで読書(例え課題の本でも)したり、友達と話したり、そういうのって最高の贅沢だなと。

昨日の議論の私的発見は・・・

フランスでは10年前位から大手スーパーがビニール袋有料システムを導入していて、今ではほとんどの大手小売店でそのシステムが普及しているらしい。顧客は最初に丈夫な袋を購入し、それを継続的に使用。ここまでは日本のスーパーでも最近導入されつつあるシステムだが、その袋というのがやぶれたり壊れたりしたら無料で交換してくれるらしい。しかし、袋を忘れた場合には新しいものを購入しなければならない。このように差をつけることで、顧客の袋を持ってくることへのインセンティブを高めている。注目すべきはこれらが全て民間主導で行われてきたこと。日本でも最近ビニール袋はかなり注目されてるけれど、政府の新聞広告や新聞社やテレビなどマスコミ主体の啓蒙的要素が強い気がする。時間が必要と言うことかしら。しかし10年前からというのは驚きである。

また、同国では全供給電力の80%を核燃料に頼っているらしい。詳しくは知らないが確か日本でも30%くらいだったような気がする。しかし社会党のロワイヤル候補はそれらを他の燃料に移行することを目指しているらしく、それってものすごく国家予算がかさむのではないかという気がする。核燃料の安全性って、ヒューマンファクターも含めてどれほどのものなんでしょうか。まあ人間のミスを起こす可能性なんて完全に予見することは不可能でしょうが、少なくともゼロにはならないだろうし、その中でいかにしてコストとリスクのバランスを取っていくかが難しいところ。


少し話はそれますが、先日本棚をひっくり返していたら2年前に非常にぐだぐだの内に終えてしまった政治文化の授業の資料で、今卒論で扱っている内容とも少しばかり関係のある、social capital(社会関係資本)のフランス政治における考察をしている文献がありました。
あの頃は読まずに放っておいてしまった資料も今読んだらいろいろと、某青春の匂いのする作家の言うところの「実感をともなって思い浮かべる」ようなことができるんだろうと思います。

こうやって、学問って、当たり前だけど実生活の中での実感が伴って初めて身になるというか、だから自らの社会体験が蓄積していくと、その分身につくことも増えてくる。自ら直接的に経験することには限りがあるから、人の話を聴いたり、新聞を読んだりして一次情報に多く触れることが非常に重要なんだと思います。
高校生までは「新聞を読むことは重要だよ」と言われようが、そこのところが理解できていなかったために、ちっとも実践に結びつきませんでしたが、今はすごく「実感を伴って」理解できます。
某バイトの研修いわく、「やっていいことと悪いことの区別を教えるには、なぜそれが大事かを教えることが大切」なんだなあ。

学生生活も終わりに近づいて、いまさら感のあるコメントですが、こうやって頭の筋トレができる時間や心理的余裕を持てることが、教育を受けることの二次的な意義なのかもしれません。
一番はやはり「知ること」なんでしょう。

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